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会報2017-10

Miyagi Goodwill Guide Club(宮城善意通訳者の会)会報



七夕ボランティア通訳によせて


Y.C


 今回初めてボランティア通訳に参加しましたY.Cと申します。65歳を超えてからスペイン語を勉強し始めてまだ2年足らずですが、こちらが勉強させてもらえるというつもりで思い切って参加しました。七夕を見に来られる外国の方はほとんどが英語を話されるが私は英語が全く話せないので何の役にも立たず、かえってご迷惑だったかと赤面の至りです。ただ一人、フランス語を話す方が来られて、私はつたないフランス語で応対しました。若いころパリに住んでいた経験があるので日常会話程度は話せたはずなのですが、今はスペイン語を勉強しているせいか、知っているはずのフランス語の語彙がスペイン語と混乱をきたし思うように対応できなかったことが心残りです。まずは確実にスペイン語をマスターしなければと思った七夕ボランティアでした。 

今年の3月にグアテマラのアンティーワという所で1か月のスペイン語留学をしましたが、とても勉強になったので11月に再度同じところでホームスティするために準備しているところです。グアテマラの学校の授業は現地の先生とのマンツーマン授業でお昼をはさんで4時間しっかりと授業があります。お昼と夕食はホームスティ先での食事です。私が滞在したアネットさんの家は中庭が大変美しく快適なので庭のテーブルで勉強することも多かったです。又、食事が一流のレストラン並みにおいしく帰国したときは私の体重がなんと3キロもオーバーしていたのには少々がっかりでしたが、いい思い出もたくさん出来ました。65歳からのボランティア通訳。夢は2020年の東京オリンピックでたくさんのスペイン語圏の方たちに安心して案内できるようになることです。
 


MGGCの生い立ちと七夕通訳ボランティア活動について


総務担当  K.T

今年も無事、仙台七夕通訳ボランティアが終了致しました。主催者側との調整等や募集を担って頂きましたMさん、Gさんの両幹事、及び、ご多忙の中、本ボランティア活動にご参加・ご協力を頂きました会員の皆様、ありがとうございました。

さて、2017年3月に開催されましたMGGC創立30周年記念パーティ終了後、創立にもご尽力を頂きました元会長さんから、会の発足と七夕ボランティア通訳活動へ当会が関わることに至ったお話しを拝聴し、95年10月に当会へ入会した小生が全く存じていなかったこともございまして、皆様へもご承知頂ければと今回記させて頂きました。

・生い立ち
 『外国人旅行者が来仙時、言葉の面で困らないよう、お手伝いが出来る団体が必要ではないのか。』の趣旨で 多くの方々のご尽力もあり、1985年に会が発足致しました。発足に関し、『世界中で使われている言葉は英語のみではない』こと、『お手伝いをする側に外国語会話力に不安があったとしても、必要なことはお手伝いをしようとするホスピタリティ』、とのことで、外国語力は問わない会則と制定され、現在に至っております。

・七夕通訳ボランティアへの対応
 MGGCが発足する前は、青年海外協力隊宮城県OB・OG会(以下、協力隊OV会)のメンバーさんらが、協力隊に参加したOB・OGらが任地で習得した語学力を生かせないだろうかと、国際化がまだ耳慣れない数十年前、七夕に訪れる外国人のお手伝いをするため仙台駅に机を一つ借り外国人への通訳サービスを開始しました。国際化の波は大きなうねりとなってユネスコの世界大会をはじめ種々の国際会議等が本県でも開催されるようになり、そんな折MGGCが発足し、それに伴い七夕通訳も本会の事業として移管され現在に至っており、係わった一人として嬉しく思います。(MGGC10年史『七夕通訳物語』K.S様ご投稿から一部抜粋掲載)。MGGCが発足したことで、協力隊OV会の活動から当会が引き継ぎを’86年8月から受け、現在に至っております。 


 当会は現在、一時期に比べ少数精鋭で会は運営されております。少数故、七夕通訳活動の駒割りを担って頂いたM幹事は、担当をお引き受け頂きました以降毎年の募集と駒割りへ大変なご尽力・苦労を頂いております。因みに過去には応募会員さんが多数により止むを得ず、折角のご協力お申し出へご辞退を願い、ご快諾頂いた会員さんもございました。

会員の皆様はお仕事やご家庭をお持ちにより、ご多忙で有ることは十分承知致しているつもりではございます。が、会の発足や七夕通訳ボランティアが当会で担うことに至った経緯をご承知頂きまして、今後も当会の活動に皆様のご支障が生じない範囲で、願わくは今まで以上のご協力を頂ければ、とお願いする次第でございます。



松島の通訳ガイド報告

T.S

 ちょっと遅くなってしまいましたが、4月29日(土)の松島通訳ガイドの報告をいたします。

4月中旬ころだと思いますが、ホームページ経由で問合せがあったということで、お話をいただきました。ちょうどその日は休みだったため応募してみたところ、私以外に応募がなかったようで、ガイドをさせていただくことになりました。

依頼主はアメリカ人のHさんで、4月29日(土)午前9時半から午後3時までの仙台観光ということでした。ただ、何度かメールのやり取りをしている中で、松島が第一希望のようでしたので、松島を案内することにしました。

当日仙台新港に迎えにいくと、そこにはCelebrity Millennium という巨大なCruiserが接岸していました。Celebrity Millenniumは横浜港を出発して日本列島を時計回りに回り各地に寄港、途中韓国の釜山にも立ち寄り、前日は青森市の観光を楽しんできたそうです。その船、なんと92000トン、私が今まで見た船で最大のものです。関係者にお伺いしたら、船内スタッフ1000名、乗客2000名、そのうち外国人が3割と言っていましたので、約600人の外国人が乗っていたのでしょうね。

伊達武将隊の歓迎セレモニーに迎えられて出てきた乗客の皆さんは、仙台の友達と再会する人、観光バスに乗ってどこかに出かける人、その場でお土産を買い求める人、と様々でした。そんな中の一人がHHさんで、道々お話を聞いたところ、Celebrity Millenniumを運行している会社のCEOだそうです。今回は乗客として搭乗して日本各地を取材しているとのことでした。午前9時半から午後3時までということで、帰りは絶対に遅れるわけにはいきませんので急ぎ高速道路で松島へ。松島善意通訳者の会の相澤会長には事前に瑞巌寺の案内をお願いしておきました。当日手がふさがっていたらどうしようと思っていましたが、空いていて案内をお願いできました。

相澤さんの説明が終わりに近づいたところで、Hさんが意外な行動に。本堂は写真撮影禁止なのですが、写真撮影許可を取って本堂内を撮影したいと言い出しました。管理事務所に行って撮影許可をもらい再度本堂内を一回り、写真を撮りまくりました。そのあと五大堂に行きここでも写真撮りまくり。湾内の遊覧船に乗せたかったのですが、定期船だと時間的に無理なことが判明。1隻6000円で貸し切り、というのを見つけて急遽チャーター。二人で30分ほどの湾内クルーズを楽しみましたが、波も穏やかで風もなくとてもさわやかでした。私自身も震災以来久しぶりの海で、ゴールデンウイークを満喫してきました。

 


半日仙台市内観光

T.I 

8月8日、七夕の最終日。台風接近による断続的な雨の中、タイ、バンコクからの旅行者、C.Tさん(通称Kさん、40代の女性)の市内観光ガイドを担当しました。日本の祭りに興味があるとのことで、前日は青森でねぶたを見て、当日昼ごろ仙台着の予定と聞いていました。

当初の計画では、暑さと混雑を避け15:30にホテル(メトロポリタン)で待ち合わせ、駅前付近散策後、瑞鳳殿でのキャンドルライトアップとミニコンサートを目玉とするナイトループルに乗るということで、了解を得ていました。

ところが、当日は当会の打ち上げ会も中止せざるを得ない悪天候。ループルバスは動くもののナイトイベントは全て中止となりました。急遽、先方の携帯に電話(日本からタイへの国際電話となる)して散歩中だったKさんに急ぎホテルに戻ってもらい、14:00時過ぎに会うことが出来ました。天候のますますの悪化が見込まれるという状況から、直ぐにループルバスに乗り、勾当台公園からは仙台駅まで歩いて七夕飾りを見物するということに計画を変更しました。

日本の古い文化に興味をお持ちの様で、瑞鳳殿では資料館を含めかなり時間をかけて見学しました。一方、青葉城址にはちょっと期待外れという印象を持ったようです。勾当台公園でループルを下車、一番町と旧中央通りのアーケード街をゆっくり歩きました。一番町の飾りは全て外されていましたが、マーブロロード、クリスロードでは通常の通り飾られていたので、飾りの下を歩くという七夕の醍醐味をやっと味わうことができました。手の込んだ飾りはやはり強い印象を与えたようで、感激の様子が此方にも伝わってきました。中でも、写真の折鶴の飾りが全て手作りであることに最も驚かれたようでした。

18:00頃名掛丁の出口に到着。Kさんは、もう一度飾りの下を歩きたいので来た道を少し戻って楽しむとのことでしたので、そこでお別れしました。最後に七夕の雰囲気を味わってもらうことができ、雨の中でも最低限の役目は果たせたと思います。